2011年 12月 14日
震災から9ヶ月。
今回で3回目を迎えた、大船渡の「やっぺし祭り」。
自分は第1回目から「スポレクやっぺし」も含め、今回で4回目の被災地訪問になる。
もともと震災直後からテレビなどで放映される被災地の様子を見てとんでもない事が起こっちまったな。と衝撃を受けていた。
しかし、報道が増えるにつれて実際リアルな現状が映されていない様な気がして来た。
そんな時にコレクターである石鍋博子さんに誘われ大船渡に行く事を決めた。
石鍋博子さんは大船渡の出身で、現地にはお父様を含めた親戚が居る。
最初に現地の様子を見たときは、何もかもが現実離れしていて状況が理解できなかったことを覚えている。
表現はおかしいが、まるでなにかアトラクションの中、車を走らせている様な。
そしてその被害のスケールにも。
ただ、現地の方々は温かく、元気で。
自分は現地をこの目で見たいという思いと、何か役に立つ事はないかと、元気を届ける事はできないかと思い大船渡へ行ったのだが、その衝撃に打ちのめされていたところを現地の方々の気力や前向きさに感銘を受け、自分をたもっていることができたくらいだ。情けなく思った。その状況に対峙したときの自分の無力さ。だって、まず理解ができない。
自然の圧倒的な力を前に人間の無力さを感じた。 なんてそんなもんじゃないんだから。
そんなこと考えなくても感じなくても、その場に立てばそのまんま。
ほんと、人間が築いて来た文明社会の恐ろしい勘違い。
そりゃどんな世界に生きてたって、それぞれに悩みや不安、不幸だと思う事だってたくさんある。
でも、自分の状況を客観視した時、角度を変えて見た時に必ず何かに気づくはず。
自殺したり、人を殺したり、自然を殺めたり。 一つの視点からでしか物事を見る事ができないから。
この情報社会の中ではいろんな情報が入って来て、見えなかった事も飛び込んで来る。それでもまだまだ目を瞑って見えないふりしてる。
原発問題の解決方法が見つからないどころか、ごにょごにょして濁して、嘘付いて、責任をどうにか分散させたり逃れたりしようとあがいて。それに対して国民は口を揃えて批判する。
でも、時間がたつと忘れてしまう。
その瞬間、熱くなって。
発言して自分はその問題の解決に対して真剣に考えているんだと。
そして一晩寝ると忘れてる。
責める事は簡単。でもその根本を見つめ直して自分たちが見えないふりをしてきたことへの責任は無くなっちゃう。
誰を責める訳でもなく、しっかり向き合える人間になりたい。
今回、被災地を訪れて感じた事。
みんな現地の人たちは、3.11がとても大きな被害を与えた事、自分たちがその被害から立ち直ろうと日々努力している事、今でもずっと苦しみ続けている人たちが同じ日本の中にいる事などを、忘れられちまうんじゃないか。と、心配しています。
日本の良い部分でも悪い部分でもある、熱しやすくて冷めやすい性格が、このような場面では弱点となって現れている。
以前、8月に大船渡に炊き出しに行く事を知人に話したら、「まだ炊き出しなんかやってるの?」と言われた。
確かにいつまでも、炊き出しなどの支援をあてにしていてはいけない。しかし、現状としてそういう支援が心を温める事もある。
瓦礫の山は徐々に片付けられ始めていて、以前の様な異常事態な雰囲気は消え始めている。
しかし、現状としてはようやくゼロに戻ったに過ぎない。
そんな中、壊滅していた街中にいくつかの店が開店し始めたり、「おおふなと 夢 商店街」という仮設商店街ができた。
正直、感動した。絶望的かの様に見えた大船渡の街に商店街ができて、そこに20近い店が並んで営業している。みんな協力しあって、どうにか再生へとがんばっている。
ぼくらが何かできる事。確かに難しいけど、もっと簡単に考えても良いのかもしれない。
シンプルに。
お疲れ!!

今回で3回目を迎えた、大船渡の「やっぺし祭り」。
自分は第1回目から「スポレクやっぺし」も含め、今回で4回目の被災地訪問になる。
もともと震災直後からテレビなどで放映される被災地の様子を見てとんでもない事が起こっちまったな。と衝撃を受けていた。
しかし、報道が増えるにつれて実際リアルな現状が映されていない様な気がして来た。
そんな時にコレクターである石鍋博子さんに誘われ大船渡に行く事を決めた。
石鍋博子さんは大船渡の出身で、現地にはお父様を含めた親戚が居る。
最初に現地の様子を見たときは、何もかもが現実離れしていて状況が理解できなかったことを覚えている。
表現はおかしいが、まるでなにかアトラクションの中、車を走らせている様な。
そしてその被害のスケールにも。
ただ、現地の方々は温かく、元気で。
自分は現地をこの目で見たいという思いと、何か役に立つ事はないかと、元気を届ける事はできないかと思い大船渡へ行ったのだが、その衝撃に打ちのめされていたところを現地の方々の気力や前向きさに感銘を受け、自分をたもっていることができたくらいだ。情けなく思った。その状況に対峙したときの自分の無力さ。だって、まず理解ができない。
自然の圧倒的な力を前に人間の無力さを感じた。 なんてそんなもんじゃないんだから。
そんなこと考えなくても感じなくても、その場に立てばそのまんま。
ほんと、人間が築いて来た文明社会の恐ろしい勘違い。
そりゃどんな世界に生きてたって、それぞれに悩みや不安、不幸だと思う事だってたくさんある。
でも、自分の状況を客観視した時、角度を変えて見た時に必ず何かに気づくはず。
自殺したり、人を殺したり、自然を殺めたり。 一つの視点からでしか物事を見る事ができないから。
この情報社会の中ではいろんな情報が入って来て、見えなかった事も飛び込んで来る。それでもまだまだ目を瞑って見えないふりしてる。
原発問題の解決方法が見つからないどころか、ごにょごにょして濁して、嘘付いて、責任をどうにか分散させたり逃れたりしようとあがいて。それに対して国民は口を揃えて批判する。
でも、時間がたつと忘れてしまう。
その瞬間、熱くなって。
発言して自分はその問題の解決に対して真剣に考えているんだと。
そして一晩寝ると忘れてる。
責める事は簡単。でもその根本を見つめ直して自分たちが見えないふりをしてきたことへの責任は無くなっちゃう。
誰を責める訳でもなく、しっかり向き合える人間になりたい。
今回、被災地を訪れて感じた事。
みんな現地の人たちは、3.11がとても大きな被害を与えた事、自分たちがその被害から立ち直ろうと日々努力している事、今でもずっと苦しみ続けている人たちが同じ日本の中にいる事などを、忘れられちまうんじゃないか。と、心配しています。
日本の良い部分でも悪い部分でもある、熱しやすくて冷めやすい性格が、このような場面では弱点となって現れている。
以前、8月に大船渡に炊き出しに行く事を知人に話したら、「まだ炊き出しなんかやってるの?」と言われた。
確かにいつまでも、炊き出しなどの支援をあてにしていてはいけない。しかし、現状としてそういう支援が心を温める事もある。
瓦礫の山は徐々に片付けられ始めていて、以前の様な異常事態な雰囲気は消え始めている。
しかし、現状としてはようやくゼロに戻ったに過ぎない。
そんな中、壊滅していた街中にいくつかの店が開店し始めたり、「おおふなと 夢 商店街」という仮設商店街ができた。

正直、感動した。絶望的かの様に見えた大船渡の街に商店街ができて、そこに20近い店が並んで営業している。みんな協力しあって、どうにか再生へとがんばっている。
ぼくらが何かできる事。確かに難しいけど、もっと簡単に考えても良いのかもしれない。
シンプルに。
お疲れ!!







